息子がフリースローの前で固まっている。
夕食の席で「もうやめたい」とぽつりと漏らした一言が、頭から離れない・・・。
自分にも覚えがあって、現役時代、投げられなくなった時期があった。
あの頃は「気合が足りない」「根性で治せ」としか言われなかったし、誰にも本音で相談できないまま、結局それが引退の一因になった。
今、息子を前にして思う。
あの時代の自分と同じ思いを、この子にはさせたくない。
ただ検索してみると、昔とは少し違う空気を感じる。
「気合」ではなく「メカニズム」で語られてきており、専門家という存在が、以前より近くにあるように見える。

昔は「気合が足りない」の一言で終わっていた
かつてイップスは、口に出すことすら憚られる言葉だった。
特にチームスポーツの現場では、「メンタルが弱い」「甘えている」という一言で片付けられることが多く、選手本人がそれを誰かに相談するという発想自体が持ちにくかった。
指導者側にも、イップスを体系立てて説明できる知識がなかった時代が長く続いた。
その結果として、選手は一人で抱え込み、症状が悪化してから初めて周囲が気づくというケースが少なくなかった。
相談する窓口も、今のように整っていたわけではなかったし・・・。
ここ数年、イップスに関する情報の語られ方が変わってきており、精神論ではなく、神経科学やスポーツ心理学の視点から、なぜ体が思うように動かなくなるのかを説明する記事や専門家の発信が増えている。
「気持ちが弱いから」ではなく、「特定の場面で無意識に働く防御反応」として捉える見方が、以前より一般の人にも届くようになっていて、指導者や親が「叱る」から「理解する」へと、対応の起点を変えるきっかけになりつつある。
変化を後押ししている3つの要因
一つ目は、情報へのアクセスのしやすさだ。
以前は専門書や医療機関でしか得られなかった知識が、今はスマートフォン一つで、しかも当事者に近い言葉で調べられるようになった。
深夜に一人で検索する高校生も、会社の休憩時間にこっそり調べる社会人も、以前より早い段階で「自分だけじゃないかもしれない」という情報にたどり着けるようになっている。
二つ目は、スポーツ心理士やメンタルコーチという専門家の存在が、以前より可視化されてきたこと。
「どこに相談すればいいか分からない」という壁は依然として残っているが、少なくとも「そういう専門家がいる」という認知自体は広がりつつある。
三つ目は、SNSなどを通じて、当事者自身が体験を語る場が増えたこと。
プロ選手やOB・OGが自らのイップス経験を公表するケースも見られるようになり、「イップスは特別な人だけがなるものではない」という空気が、少しずつ形成されつつある。
これから先を断定することはできないが、今見えている兆しから言えるのは、親や指導者に求められる役割が変わりつつあるということ。
昔のように「正しい方法を一方的に教え込む」立場から、「本人のペースに合わせて、必要な時に専門的な知恵を橋渡しする」立場へと、少しずつ重心が移ってきているようだし、特に子供や若い選手に対しては、経験則を押し付けるのではなく、本人の言葉にならない不安をどう掬い上げるかが、これまで以上に問われる時代になるかもしれない。
今、変化の途中にいる自分たちにできること
自分が現役だった頃と今とでは、イップスをめぐる捉え方は確実に異なる。
ただし、それはまだ完成された変化ではなく、進行中の兆しだ。
専門家へのアクセスのしやすさも、周囲の理解も、地域や環境によってはまだ十分とは言えない。
だからこそ、親として、あるいは指導者として今できることは、「昔の自分が受けられなかったサポート」を完璧に再現しようとすることではなく、目の前の子供や選手が発している小さなサインに気づき、必要であれば専門的な知見につなぐ。
その一歩を持てるかどうかが、これからの時代における向き合い方の分かれ目になっていくのではないだろうか。

